Xスポーツで起こった10人の悲劇的な死

Xスポーツで起こった10人の悲劇的な死

エクストリームスポーツの略であるXスポーツは、非常に過激なスポーツです。Xスポーツを競技する人たちは、必ずしも競技に勝つことが目的ではなく、神経と持久力、そして限界に挑戦するのです。ワタクシのようにスポーツのスの字もしない(負けず嫌いだから最初から競わないに限る。もっぱらスポーツベットね w)人間から見ると、このXスポーツは自殺行為のように見えます。

ところがXスポーツ愛好家にとっては、ジャンプ、落下、スピード、回転するなどして得られるスリルは、人生を価値あるものにするようです。パラシュートが開いていなくたってへっちゃら、そのフリーフォールのスリルを楽しむ彼ら。今回はそんな彼らが命をかけて愛したが故に、極端に過激なスポーツで命を落とした「向こう見ず」な10人を紹介します。


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10)Uli Emanuele / ウリ・エマヌエーレ

ウリ・エマヌエーレ2016年:BASE / ベース(ビルディング、アンテナ、スパン、アースの頭文字)ジャンプは、建造物や断崖などの高いところからパラシュートやウイングスーツを使用し、飛び降りる極限のスポーツです。特にウイングスーツを用いたベースジャンプは死亡率が高く、そのため多くの場所で違法となっています。

ワタクシもFacebookで友人がシェアしていたビデオを何度か見たことがありますが、崖の上から飛び降り、地面スレスレ、木の間を通り抜けながら猛スピードですり抜け飛行する映像は、見ているだけでも手に汗握る、Gを感じるものです。

最も知られているBASEジャンプの死の1つは、Facebook上でライブストリーミングされている最中に発生しました。ウリ・エマヌエーレは、イタリアのドロミテ山脈でウイングスーツジャンプを撮影している最中、岩に激突して亡くなりました。エマヌエーレはそれまでにも驚異的なスタントを何度もしており、プロ中のプロでした。ジャンプを計画するときの彼の精密さと細部への注意はかなりのものとして知られていたので、彼の死はウィングスーツコミュニティに衝撃を与えました。ウリ・エマヌエーレは事故当時、29歳でした...。

 

9)Malik Joyeux / マリック・ジョエユー

マリック・ジョエユー

 

2005年:マリックは、タヒチ育ちのプロビッグウィーブサーファーでした。フランスで生まれ、幼い頃タヒチに移住して、海から数メートルの場所で暮らしていたいました。8歳の時にサーフィンを始め、タヒチで最も有名なサーファーの一人へと成長し、【petit prince / プチ・プリンス】として多くの人に知られていました。そして、夢を叶えるため、ハワイに引っ越したのです。

マリック最後の波となったのは、ハワイのノースショア、有名なオアフパイプラインでの2.5メートル(8フィート)の波でした。チューブインしようとしたとき、少しのタイミングで間に合わず、波がマリックをボードごと飲み込みました。マリックは水中に沈み、ボードは破壊され、ボートの紐はもはやマリックの身体に繋がっておらず、フォトグラファーや他のサーファーがマリックを探しましたが水面に現れなかったのです。15分後、パイプラインの端で、ある一人のサーファーによって発見されました。他のサーファーの助けを借りて彼をビーチに運び、ライフガードと救急救命士が彼を蘇生しようとしましたが、それは遅すぎました。剖検報告書によると、マリックはサーフボードで頭を打ち、意識不明になって海に沈んだことがわかりました。わずか25歳でした。

 

8)Dwain Weston / ドウェイン・ウェストン

ロイヤル・ゴージ・ブリッジ2003年:ウェストンはオーストラリアの伝説的なBASEジャンパーで、実に多くの経験を持っていました。彼は当時、トップジャンパーの一人と考えられていましたが、だからと言ってこの極限のスポーツにおいて、安全が保証されているわけではありません。

ウェストンはコンピューターアナリストで、世界を旅し、1,000回以上のジャンプを行いました。2002年には、世界BASEジャンプのタイトルを獲得しています。この時、ウェストンの人生があと1年も残されていなかったことは、誰も知る由はありませんでした。ウェストンの最終的なパフォーマンスは、コロラドのゴー・ファスト・ゲームズのデモンストレーションの一部として、他のジャンパーと一緒に飛行機からウイングスーツジャンプをすることでした。飛行計画は、二人が飛行機から飛び降り、1人が世界一高い吊橋、ロイヤル・ゴージ・ブリッジの上を飛行し、もう1人は橋の下を飛行するというものでした。ウェストンは橋の上を飛ぶことになっていましたが、代わりに、時速193キロ(120マイル)で吊り橋に激突し、たくさんの観客がパニックになる中、パラシュートと共に谷間へ落下していったのです。

ウェストンは橋に激突した衝撃で死亡したとされていますが、パラシュートは激突の後開かれているため、はっきりとしていません。この時ウェストンは30歳でした。

 

7)Jay Moriarity / ジェイ・モリアリティ

ジェイ・モリアリティ2001年:アメリカのプロサーファー、ジェイ・モリアリティは、わずか16歳のとき、ノーザン・カリフォルニアで有名なサーフ・ブレイクであるマーベリックスで、大きな波に吹き飛ばされる彼の写真がサーフィン誌の表紙となり(この写真)、世界的に注目されることとなりました。マーベリックスは、3キロ(2マイル)のオフショアで、18メートル(60フィート)の高さの波が発生することで知られています。

これまでにも多くのトップサーファーが、マーベリックスの重くて激しい波により亡くなっています。しかし、ジェイはその一人ではありません。ジェイは、大きな波乗りのための訓練中に亡くなりました。努力家のサーファー、ジェイは、深い水中で長時間耐えられるように身体を調整するつもりでした。これは山のような大きさの波に乗る際、重要なことなのです。ジェイはモルディブで、通常スキューバ・ギアが必要な水深までフリーダイビングでロープを伝って潜り、水面に戻ろうとしている時に失神し、死亡しました。この時ジェイは22歳、誕生日の前日でした。

 

6)Jimmy Hall / ジミー・ホール

ジミー・ホール2007年:ハワイでは有名人だった冒険家のジミー・ホールは、Xスポーツに関わっただけではありません。 彼はオアフ島に住み、ハワイ・シャーク・エンカウンターという事業を所有していました。サメは、何百万人もの人々が出会いたくないと望みますが、ジミーのビジネスはサメに出会うことを望んでいる人々に対応したビジネスでした。彼はハワイで唯一、ホオジロザメと一緒に泳いでいたサメの専門家でした。

ジミーの経験フィルム映像を見たディスカバリーチャンネルは、シャーク・ウィーク番組のホスト役として、ジミーとディスカバリーチャンネル契約を結びました。この時ジミーは、カナダのヌナブトへBASEジャンプに参加するための旅行をすでに予約していました。カナダのバフィン島でドキュメンタリーを撮影していたジミーは、島の山々からBASEジャンプをする映像を撮っていました

BASEジャンプは、シャーク・ダイビング、パラグライダー、セーリングなど、ジミーの情熱の一つに過ぎませんでした。タンクがなくても150フィート(46メートル)をフリーダイビングすることができるジミーは、BASEジャンプの事故により、41歳で亡くなりました。

 

5)Erik Roner / エリック・ロナー

エリック・ロナー

 

2015年:Xスポーツ愛好家のドイツ人、エリック・ロナーは、MTVのリアリティー番組「MTV Nitro Circus ~激突!おバカ☆ライダー」で名声を得ました。プロのXスキーヤー、BASEジャンパーとしても知られ、雪山の断崖絶壁からスノーモービルに乗ったままダイブするBASEジャンプなどもしていました。

悲しいことに、エリックは他の2人のパラシューティストと一般的なジャンプをして亡くなりました。事態がとんでもない方向に向かった時、3人はカリフォルニア州レイク・タホで開催された、ゴルフのチャリティートーナメントの開会式でスカイダイビングスタントを行っていました。他の2人のパラシューティストは安全に地面に着陸しましたが、エリックは木に叩きつけられ、枝にもつれてぶら下がった状態になったのです。観客や当局者たちが彼を救出しようと、人間はしごを形成したりしたもののその努力は虚しく、エリックは木にぶら下がったまま亡くなってしまいました。エリックは39歳でした。

 

4)Mark Sutton / マーク・サットン

マーク・サットン2013年:2012年の夏季ロンドンオリンピックの開会式で、007のジェームス・ボンド扮したダニエル・クレイグの代わりに、ヘリコプターから飛び降りた経験豊富なスタントマンが、マーク・サットンでした。そのスタントの一年後、サットンは重力とスピードのXスポーツのさらなる犠牲者となってしまいました。

サットンと20人のトップウィングスーターが、Xスポーツを専門とするWeb TVチャンネル、Epic TVが企画するHeliase 74という3日間のイベントに招待されました。彼らのフライトのビデオ映像と引き換えに、主催者側は宿泊施設とヘリコプターへのアクセスを提供しました。サットンはベテラン仲間と並び、約1分間の飛行予定でフランス国境に近いスイスの上空から飛び降りました。しかし、悲劇はわずか20秒後に起こりました。サットンはヘリコプターから10,800フィート(3,300 m)でジャンプし、155 mph(249 km)にも及ぶ速度で移動し、彼はコース外に曲がり、山頂に衝突してしまいました。現場にはすぐに救助ヘリコプターが到着しましたが、その衝撃は酷く、DNA検査で遺体を確認する必要があったほどです。サットンは着陸のためにパラシュートを装備していましたが、使用されませんでした。残念にも、42歳の偉大なスタントマンを失ってしまいました。

 

3)Caleb Moore / ケイレブ・ムーア

ケイレブ・ムーア

 

2013年:2013年冬季Xゲームは、過去4度のメダル獲得経験のある実力者、ケイレブ・ムーアのスノーモービルが着地に失敗し転倒したのを見て、他の選手たちも大いに驚き、同時に動揺した事でしょう。その証拠に、ケイレブの弟、コルトンもこの後、転倒して骨盤を骨折し運ばれたのです。幸いにも翌日には退院となりましたが。

この兄弟が参加するXスポーツは、スノーモービルでアクロバットジャンプするというもの。ケイレブは体を離しての一回転ジャンプを試みましたが、スノーモービルのスキー部分が地面に引っかかり着地失敗。ケイレブは投げ出され、その上から200kgを超えるスノーモービルがケイレブの体に回転しながら落ちてきました。ケイレブは意識を失い、倒れたまま動きませんでしたが、救護班が駆けつけ、しばらくすると意識を取り戻して自力で歩きました。

ところがその後すぐ、胸の痛みを訴え病院へ駆けつけます。脳震盪と診断されましたが、経過観察のため入院。しかし、心臓挫傷で心臓付近に内出血していたのです。ケイレブは別の病院へ空路で移されますが、心臓の緊急手術が行われる前に心停止となりました。 酸素不足のために脳の損傷を受け、事故から1週間後に亡くなりました。Xゲームが始まって18年、25歳のケイレブが初めての死亡事故となりました。

 

2)Dario Barrio Dominguez / ダリオ・バリオ・ドミンゲス

ダリオ・バリオ・ドミンゲス2014年:ダリオはスペインの人気TVシェフでした。彼が活躍したテレビ番組は、世界中を旅し、他の国の料理を味わい、その喜びを探索し、紹介していました。彼はまた、ウィングスーツジャンプに熱中しており、 残念なことにこれが彼の死につながる事になったのです。

ダリオは、スペインのシエラ・デ・セグラ山脈にあるインターナショナル・エア・フェスティバルで、他2名のウィングスーターと一緒に飛びました。 悲劇的なイベントの映像は観客がカメラで撮影していて、他の2人のウィングスーターはパラシュートで安全に着陸する様子を収めています。しかしダリオのパラシュートは開いておらず、岩壁にぶつかり、その衝撃で即死しました。41歳のダリオがこの事故で死亡したことで、主催者はフェスティバルのスカイダイビングイベントをすべて中止しました。

 

1)Kuraudo Toda / 戸田蔵人

戸田クラウド

 

2015年:通称「クラウディ」と呼ばれた戸田蔵人は、6歳からモトクロスを始め、17歳でプロ入りしました。ところが2008年、スズキとヤマハの合同練習中、大事故に巻き込まれ、脊椎T6.7脱臼粉砕骨折と肋骨1本残し全骨折、そして手首、顔面、首骨折に肋骨が左右の肺に刺さって穴が開き、多量出血という重傷を負いました。この事故で戸田は下半身麻痺となり、医者からは自力で歩くことは不可能と宣告され、車椅子の生活を強いられます。しかし、戸田のモトクロスに対する情熱は衰えることはなく、「絶対に歩けるようになってやる!」とリハビリを続けました。

その後、車いすでも操縦ができるよう改良した専用のバイクを製作し、自由にならない下半身をバイクに縛り付けた状態で大会に出場し続けていました。そして悲劇が再度、戸田を襲ったのです。2015年12月29日、茨城県かすみがうら市西成井のモトクロス練習場で、ジャンプの練習中に敷き詰められていた緩衝材に突っ込み、バイクから出火、敷かれていた緩衝材に引火しました。体をバイクに縛り付けていたため逃げ遅れ、駆けつけた戸田の友人たちは炎が強すぎて近づくことができませんでした。30分後に火は消し止められましたが、その場で戸田の死亡が確認されました。これまで諦めることなく頑張ってきた戸田ですが、再び歩くことなく、35歳の生涯を終えました。


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