〜ポーカーが「日陰」のゲームとなったワケ〜

お話 〜ポーカーが「日陰」のゲームとなったワケ〜

昔むかーし、ポーカーは「日陰」の人々の「日陰」のゲームだった。

日本では特に、「ギャンブル」というイメージがいまだに強い。お金を賭けるのであるからギャンブルには違いないが、他にもカード(トランプ)ゲームは数知れずあれど、なぜポーカーに限って、タブーと感じさせるゲームになったのだろうか?

19世紀、開拓時代のポーカーがプレイされ始めた初期に戻って、そこで何が起きていたか見てみることにしよう。

これは、「悪名」ポーカーがどのように悪いイメージが付いたかというお話。


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1835年ニューオリンズ

1835年頃の蒸気船

 

1835年6月のある日、33°Cを超える蒸し暑い日。 しかし、アメリカ、ルイジアナ州のニューオリンズにある港は、貨物を吊り上げるクレーンや人々の喧騒で満たされていた。たくさんの船が、綿、木材、食糧、アジアの香辛料、ヨーロッパの移民、アフリカからの奴隷など、あらゆる大陸からあらゆる種類の貨物を運んでおり、ミシシッピ川を行き来するニューオリンズの港は最も重要な港の1つになっていた。

しかし、ニューオーリンズと南部の州での生活は厳しいものだった。この5年間、毎年何千人もの死者を出しているマラリアが遍在しており、これまで聞いたことのなかったこの病気の原因を知る者はいなかった。マラリアは中世ヨーロッパの黒死病と同じくらい怖れられ、この当時の生活条件の平均寿命は35年だった。

 

ソロモン・スミス

ソロモン・スミスこの話の後半にヒーローとなるソロモン・スミスは、なんの変哲も無い男だ。スミスはミシシッピ川の北、セントルイスへ、彼の劇団の俳優を見つけるために船旅に乗り出していた。

波止場には何百人もの小さな日傘にロングドレスを着た女性たちと、トップハットにタキシードを着た男性たちが、現代の技術と運輸のハイライトであるミシシッピの蒸気船を見て賞賛していた。

そしてその蒸気船の乗客の中には、今回の主人公、スミスもいた。この72時間後、スミスが一躍注目の的となることは、この時誰も知る由もなかった。

 

ドイツ人はPochen / ポッヘン と呼んだ

1835年、道は泥だらけの道だった。陸上輸送は依然として馬と馬車によって支配されており、東から西への大鉄道はワシントンを通過していなかった。そのため、ミシシッピの蒸気船は人と物資の輸送手段の中で最も効率的で、最速の輸送手段であった。

蒸気船は30年弱にわたってミシシッピ川を行き来しており、年ごとにその数は確実に増えていた。この頃、タバコ、米、綿、木材、そしてもちろん人々を運ぶ蒸気船の数は約1,200隻にもおよんだ。

ヨーロッパの移民は、これからアメリカでより良い人生のスタート地点として蒸気船に乗船した。彼らは希望と期待を持っていたが、後にアメリカ社会の商標となるもの、ポーカーをもたらすこととなった。

ドイツ人は「Pochen / ポッヘン」と呼び、フランス人は「poquer / ポーク」と呼ぶ類似のゲームがあった。これらはカードゲームで、その後すぐに「ポーカー」と呼ばれるアメリカのカードゲームへと進化していった。

スミスはポーカーを知らないわけではなかった。実のところ、彼はかなり人懐っこい、低ステークスな懸けではあるものの、むしろポーカー好きと言ったほうが正しいかもしれない。いや、もしかすると、度を過ぎるほど好きだったかもしれない。

 

蒸気船:命を懸けた賭け

一つの確かなことは、もしあなたが1835年に蒸気船に乗船したのであれば、それはあなたがギャンブラーという証拠だ。蒸気船は非常に成功を収め、船の数はおよそ10年ごとに3倍に増えていたが、最初の20年間にはその半数以上が爆発していた。

蒸気船の事故による死者は、1850年までに約4000人と報告され、最も一般的な事故の原因はボイラーの爆発だった。ボイラーは船のエンジンとして機能し、木材や石炭によって燃料を供給される。だが強度が弱い鉄で出来ていて、通常その管理は酷く、点検や検査といったものは行われていなかった。

船が木製であったため、ボイラーは常に乗客に脅威を与えた。この時期、約500隻の船舶が沈没しており、これらの事故はしばしば多数の死亡者を出した。

アメリカ関税局によると、アメリカ史上最悪の海上惨事はタイタニック号の沈没ではなく、1,500人以上が死亡した1865年のスルタナ号の爆発であった。

スルタナ号の惨事

 

それにもかかわらず、乗客が好んだ娯楽の1つは、ミシシッピ川を上ったり下ったりするたくさんの蒸気船がレースをし、それらの船に賭けることだった。それによりエンジン室のボイラーはしばしば激しく働かされ、火災の危険性がさらに高まった。

 

ポーカーの捕食者たち

蒸気船レース「ポッヘン」と「ポーク」が伝わったことにより、ポーカーはすぐに人気の娯楽になった。数年のうちに、ミシシッピ川沿いの都市はゲームハウスで満たされ、さらにそこには、ポーカー捕食者、イカサマをする者たちも集まるようになった。

移民たちは全財産を持ってアメリカに来ていたので、捕食者たちにとっては格好の餌食だった。アメリカで新しい人生を始めるための土地に足を踏み入れる前に、全財産を失い、夢が砕けたことを知った者たちもいた。その後、詐欺を排除するための法律や規制定められたので、捕食者たちは自ら船に場所を移し、川を上ったり下ったりするようになった。

捕食者たちの多くは、下船さえめったにしなかった。彼らは移民たちをポーカーゲームに誘い込むことに長けており、まず移民たちに勝利させ、いくらかの金を獲得させた後、彼らが持つすべての金を巻き上げるという罠にはめるのだった。

これらの不正行為をする者たちがポーカーの悪名の起源であり、主人公のソロモン・スミスは哀れな移民たちの運命と同じ道を辿っていたのだ。ここからは、ある出来事が数ヶ月経つまでスミス自身、我が身に降りかかっていることを知ることなく、辛うじて免れた話となる。

 

ソロモン・スミス著「30年間の演劇経営」の中のポーカー場面より

ポーカーは蒸気船の人気ゲームニューオーリンズを発って2日目の夜、私は乗客仲間3人と共にカードテーブルに座っていた。「ポーカー」という面白いカードゲームをプレイしており、このゲームは紳士用キャビンで非常に一般的な遊びだった。ミシシッピ川の船の紳士用キャビンでは、同時に6つのカードテーブルが占領されているのを見るのは、全く珍しいことではなかった。

私は娯楽としてポーカーをプレイしていたが、その夜、娯楽に約60ドルを費やしたことに気づいた! (1835年の$60は現在の$1540=168000円に等しく)「なんてことだ!明日もう一度プレイして、取り戻さなければならない。」と私は声を出して言った。

「もちろんそうすべきだ。」と、同じ船に乗船していた私の古くからの知り合いも賛同した。彼はアラバマ州のモンゴメリーで数年間看守をしていて、非常に尊敬できる人物だ。「あきらめてはいけないよ。明日は取り戻せるよ。」と彼は続けた。さらに、ハバードという名の男が、明日もう一度プレイしてみるべきだと私にアドバイスをくれた。

その時私は、ポーカーをプレイしている者たちの何人かは、ブラックレッグと呼ばれる詐欺師であるかもしれないという、若干の疑惑が頭の中をよぎった。そのことを「看守」に言うと、彼も同じ疑惑を持っていたものの、すべてが公正であったという結論に達したという。自室に戻る前に、彼はギャンブラーになったこと、そしてそれを私に知らせる義務があると感じたことを語った。私は彼を信頼しており、運をもう一度試してみることに賛成したのだ。

翌朝、朝食を終えるとすぐに、ハバードと彼の友人がカードテーブルの一つで私を待っていた。私はこれまでの負けを取り戻せたら、という希望を持ってハバードの前に座った。しかし多くの人々にとってこの希望は、得てして回復不能な破滅に陥る希望だろう。

プレイ仲間は励ましをくれたし、私はこれまでの負けを取り戻せることにかなりの自信を持っていた。それでもプレイを初めて約2時間ほどは、勝敗を繰り返しながらプレイしていた。

11時になった頃、ハバードの友人は私たちに飲み物を取ってくるといい、席を離れた。するとハバードがこれまで低ステークスでプレイしていたが、ステークスを上げるべきだと提案し、私はそれに同意した。

私がここで気づいたのは、私の友人「看守」がカードをディールしたのだが、シャッフルせずにカードを配ったのだ。それで私は彼を注意深く見守るようにした。私のカードを手に取って見ると、素晴らしい手を持っていたことがわかった。(この頃プレイされていたポーカーは現在主流のテキサスホールデムとは違い、スタッドポーカーのように各自5枚のカードで勝負する)

私は自分自身に言った。 「今こそ、これまでの負けを取り戻す時だ。敵がまともな手を持っていれば、私は十分うまくプレイできるだろう。」

私は$1を賭けてゲームを始めた(現在の額は約25倍にあたる)。敵となるハバードは、それを$5にレイズした。私はそれを$10にすると、彼はすぐに$20に引き上げ、「あなたが賭けた金を手に入れる準備はできている。」と言った。

熟考する演技をした後、私は「$50にする」と言った。それでもハバードは引かなかった。賭けを$100にした。「どちらにとっても、失うにはあまりにも大きな金だ。私たちの手を見せ合い、勝敗を見よう。」と私は言った。だが、「ギャンブラーのつもりなら、$100を出すか、でなければ降りて引くんだな。」とハバードは言った。

「このショーのために、現金を見せなければならない。さぁ、ここに$100がある。」と言って出し、さらに身に付けていた金目のものをテーブルに置いた。「そしてもう$100がここにある。」と言ってさらに$100をテーブルに置いた。このベットは、ハバードを大いに喜ばせたようだった。

彼は一呼吸置くこともなく、この$200と貴重品にコールした!この時すでに私たちの周りには人だかりができていたが、そのほとんどは「餌食」にされた私を面白半分に見ていただろう。テーブルの周りにいた者たちの数人に、私の手を見せることの許可をハバードに求めたが、彼は手を見せることにも、そしていずれかの人からアドバイスを受けることも認めなかった。

「自分だけでプレイしなさい。」と彼は言った。そして、テーブルの上にカードを置くように優しく訴えた。 「では、私が3枚のエースと他2枚のカードであなたに勝てるかどうか教えてくれるかな。」と私は尋ねた。

ハバードは「そうだな、確かに打ち負かすことはできるが、簡単ではないな。」と自己満足したように笑みを浮かべた。私は「あなたが私を打ち負かせると信じているから、$200にしなければならないな。」

「そうか!」「はい。」「勝てると思うのか?」と、灰色の目を私の顔にあてたまま言った。

「はい。あなたは私を興奮させてくれたので、ここは乗るべきだろう。$200も問題ない。」と私は答えた。ハバードは私の顔を見据えたまま言った。「大胆な奴だな。この素人のために、私が持っている全財産を賭ける事になったが、それもいいだろう。もしツケで賭けることができるなら、もっと賭けるところだがね。」

勝利を確信していた私は、私も同じようにツケで賭けることができるという特権を許されるなら、彼が好きなだけ賭けることに同意した。ハバードは意地悪そうに、「それでは、$500にレイズしよう。残りはツケでね。」と言った。

「あなたは悪魔だな!」と私は叫んだ。そして、「これこそギャンブルだな。ここまで来たら、私はあなたの$500にコールしなければね、いや、$1000にレイズするよ。ツケでね。」

この段階で、ハバードの友人が戻ってきて、ハバードに彼の手を見せてくれるように頼んだ。「ダメですよ。自分だけでプレイしなければなりません」と、ハバードが私に言ったここと同じことを言った。そして、ハバードにも、カードをテーブルの上に置くように求めた。

集まった観客たちは大興奮で、私がカモになったという囁きが何度も聞こえた。ハバードは私の目を長く、真剣に見、ゆっくりと自信を持って言った。「よかろう、コールする。」

「負けたかもしれないな。しかしながら、カードを裏返して、あなたが持っている手を見せてください。」と、私は思ってもいないことを言った。

ハバードは片手で、優雅に4枚のキングと1枚のジャックをひっくり返して見せた。キングの4カード...そしてもう一方の手を震わせながら、テーブルに置かれた札、ゴールド、シルバーの山を「掻き集め」た。観客からは歓声が起こり、同時に私の不運を残念がるように見えた。

「あなたは幸運ですね。」私はハーバードに投げかけた。ハバードは札をまとめながら、「そういえば、あなたの手を聞いてなかったな。」と偉そうに言った。

「まあ、あなたも私の手を見るのもいいかもしれない。」と私は静かに答えた。 「ハッハッハッ!負けてしまったがね。しかし、友よ、この大きなショーのあなたの手を見てみようじゃないか。」とハバードは言った。

どんな手なんだ?「これが私の手だ。」と私は答え、カードを一枚ずつ順番に開いていった。「まずエース。そして別のエース。そしてまた別のエース。」

「かなり良い手だ、若者よ。」とハバードは言った。「3つのエース!他のカードは何だ?」と嘲笑うハバードに、4枚目のクイーンを見せた。「なぜクイーンなんだ?最後のカードは何かもっといいカードなんだろうな?」と観客に向かって薄ら笑いを浮かべながら尋ねた。 最後のカードを開いた私に「エースだ!またもやエースだ!4つのエース!!!」と観客が叫んだ。

ハバードを見ると、さっきまで得意げだった彼の顔が、すべての色を失っていた。歯を食いしばり、札束は彼の手から落ち、驚きと不本意さが彼の表情に強く刻印されていた。

観客たちから叫び声が上がり、すべての者へ私の奢りでシャンパンが振舞われた。

ツケで賭けた賭け金は決して払われず、私も払われることは期待していなかった。ハバードはヴィックスバーグで急な仕事を思い出し、蒸気船を下船した。彼の友人も共に下船したが、そこである事故にあった。暴徒によって乱暴に吊るされ、ハバードは亡くなった。彼はゲームによって死んだと噂された。

ハバードとのゲームの約1ヶ月後、あの場に居合わせていた乗客の一人の紳士と、私はシンシナティで出会った。お互いの近況を報告し合った後、彼は私が最近ポーカーをプレイしているかどうかを尋ねた。

「あなたが目撃者となったあのゲーム以来、プレイしていません。」と答えると 「もうプレイしてはいけないよ。」と深刻に言った。「 次は巻き上げられてしまうでしょう。私はあなたが詐欺師の手にかかっているのを見たのですよ。」と彼は続けた。

「私はハバードの仲間の一人がテーブルを離れたとき、シャッフルしていたカードのデッキをハバードの肘近くに置いたことに気付きました。何かキナ臭いと思ったので、試しに、テーブルの横を通った時に一番上のカードを下に置き換えてみました。すると、ハバードが4枚のキング、あなたが4枚のエースを手に入れました。詐欺師たちは自分たちの罠にハマったんですよ。」

 

エピローグ

ハバードのような詐欺師は、デッキを操作する仲間と一緒にたくさんのポーカープレイヤーからお金を巻き上げていた。何十万回ものイカサマゲームがミシシッピの蒸気船で行われ、犠牲者たちは全財産を失った。しかし今回ばかりは、彼たちが設置した罠に、彼ら自らが陥ったのだ。この紳士のおかげで。

何も知らず大勝利を収めたスミスは、新しい俳優チームを築き、その後大学で長年教えた。彼はアメリカ南部の演劇界のパイオニアであり、彼のユーモア溢れる作品は劇場でも人気を得た。

ソロモン・スミスがこの出来事の後、再びカードに触れたかどうかは分かっていないが、ポーカーについて書かれた作品は以上のもののみである。

ポーカー詐欺が蔓延していたこの頃から、人々はポーカーに良いイメージを持たなくなってきたようだ。そして身ぐるみ剥がされないように、ゲームから離れているようになったように思える。


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