任天堂ってこんな物売ってたの⁈

任天堂ってこんな物売ってたの⁈ びっくり商品10アイテム

顧客はヤクザだった⁈ ポルノ⁈ 掃除機⁈

任天堂 / Nintendoと言えば、ファミコン、スーパーマリオ!じゃないですか?

ところが任天堂は、最初からビデオゲームを作っていたわけじゃないんです。 会社は1889年に創業。その頃、ファミコンなんてまだこの世に存在していませんでしたしね。では、何を製造、販売していたのでしょうか?

これが驚きなんですっ!実は、現在のゲーム企業のイメージから遠くかけ離れた商品をたくさん販売していました。

そんなびっくり(現在のイメージに比べると)商品、可笑しな商品の10アイテムを皆さんにご紹介!


BitStarz ¥ 50000 ボーナス + 180 フリースピン.

|


Casino-X Sport ¥ 3000 入金不要ボーナス + ¥ 1000 ボーナス.
フリーベット

|


10:ヤクザが顧客

花札は任天堂が作ってた!驚くなかれ、任天堂の最初の主な顧客はヤクザさんたち。

1889年に創業された時には、まだ会社という形態ではありませんでした。商店、ですね。そこで、花札の製造を開始したのです。購入するのは違法カジノを運営するヤクザさんたち。しかしそれは公然の秘密でした。販売した花札がどのように使われていようが、関係ないですもんね。

「ニンテンドー」という名前は、「結局のところ、天の手の内にある」という意味だという噂も。さらに深い意味を持つと言う人もいます。ヤクザさんたちの間では、任天堂の名前はヤクザの概念である任侠を引用したものだと言われているそうです。

1902年、任天堂は日本で初めてトランプの製造も始め、すぐに日本最大のプレイカード製造会社となりました。ワタクシも知らなかったのですが、現在も任天堂は花札やかるた、トランプカードを販売しています。そしてこの画像の花札、ワタクシの家にも全く同じ物がありました!任天堂が製造していたとは、今まで気付かずにいました。子供の頃、花や動物の描かれたカードの綺麗さに魅了され、遊び方を教わってプレイしていた可憐な少女だったのよ。

 

9:ラブホテルにポルノ

beforemario.comより

任天堂は子供向けの商品を販売する会社では、全くありませんでした。1949年、3代目となる山内溥氏が祖父の会社を継ぐために学校を辞め、会社を引き継ぎます。若かった山内溥氏は、セックスとポルノを意識したビジネスアイデアを持っていましたが、古くから働く社員がその新しいアイデアに賛成するかが心配でした。

ということで、古い社員が不平を言う前に皆を解雇!自分のアイデアを知ったら、どちらにしろ古い社員達は賛成せずに辞めていただろうと考える山内氏。そして山内氏は、トランプにヌード女性が載ったトランプを販売し始めました。プレイボーイ誌を飾った一枚一枚異なるマリリン・モンローの写真が印刷されたトランプも販売しています。プレイボーイ帝国を築いたヒュー・ヘフナー氏も、「性は金になる」と言ってましたからね。

そして、ラブホテルの運営も開始。ですがラブホテル業では、さほど利益を得ることはなかったそうです。噂では、山内氏自身が使うための運営だったとか、社長というだけではなく、任天堂ラブホテルの常連VIPだった、とも。

 

8:インスタントライス

インスタントライス?3代目山内氏はアメリカのトランプ会社を訪れた時、彼らが小さなオフィスで働き、ほとんど利益を上げていないことを知りました。山内氏はトランプや花札を製造しているだけでは生き残れない、と気づき始めていたのです。

そこでプレイカードを作るだけの会社ではなく、なんとか会社を拡大しようと様々な試みをしました。インスタントライスもその一つ。山内氏は、インスタントラーメンを買う人が多いことに目を付け、インスタントラーメンが売れるなら、インスタントライスだって売れるのでは、と考えました。

現在のレトルトご飯ではなく、お湯を注いで3分、そして湯を切るというカップ焼きそばのようなインスタントライスを作ろうと考えた山内氏。大金を投資し、研究を重ねて1959年に発売したものの、決して美味しいとは言えないインスタントライスは売れなかったそうです。結果、任天堂はインスタントライスで大金を失いました。

 

7:タクシー会社

タクシー会社も

 

カードを使わず初めて任天堂が利益を上げたのは、タクシー業でした。ダイヤタクシーと呼ばれるタクシー会社を設立し、最初の2ヶ月はやっと利益を得ることができたのです。

しかしその利益は、従業員に十分な給料を支払っていなかったためなのです。従業員は給料の良い会社へと移っていき、給料を上げると利益が挙がらない・・・結果、1年も持たずタクシー業も失敗に終わりました。

 

6:N&Bブロック

N&Bブロック

 

ビデオゲームで成功する前に、任天堂はたくさんのおもちゃを作りました。タクシー、食品といろんなことを試しましたが、やはり娯楽が私たちの道だ、と気付いたのでしょう。ボードゲーム、パズル、光線銃玩具、ラジコンカー、シーソー、さらにはベビーカーさえも作りました。ありとあらゆるおもちゃを作ってみて、何が売れるか見てみよう、といった感じです。

そして、N&Bブロックを発売しますが、見かけはLEGOブロックにそっくり。違うのは、ブロックを裏返しにすると、結合する部分が少し違うだけ。案の定、任天堂はLEGOに訴えられてしまいます。

任天堂は最終的に訴訟に勝ちました。が、LEGOより軽いN&Bブロックは強度が劣り、連結部分もしっかりしていないため、組み立てても崩れやすいようで、これも大ヒット商品とはなりませんでした。


Vera&John $ 30 入金不要ボーナス + $ 1000 ボーナス.

|


Spin Palace Betting € 200 ボーナス.

|


5:ラブテスター

ラブテスター任天堂初の世界的な成功は、ラブテスターと呼ばれるもの。1969年に発売されたこのマシンが世界的に売れたことに、ちょっと笑ってしまうワタクシ。

ラブテスターは2つの電極があり、カップルで一つずつそれを握り締めます。そして、お互いの目を見つめながら愛情を込めて話したり、その他いろんなこと(ご想像にお任せ)をすると、マシンのダイヤルが動き、二人の愛がどれほど真実であるかがわかる、というものなのです。実のところ、掌の温度や発汗による電気抵抗を示すマシンなんですけどね。

2008年と2010年に復刻版も出ている、あればちょっと試してみたくなるマシンではあります。

 

 

4:電子ドラムマシン

エレコンガ史上初のプログラムで制御できる電子ドラムマシンは、任天堂によって作られました。Ele-Conga / エレコンガと名付けられ、1972年に登場。

エレコンガはボンゴのような見かけで、5つの小さなボタンが上部にあります。それぞれのボタンを押すと、シンバル、マラカス、クラベス、ハイコンガ、ローコンガの音が流れ、革新的だったのは自分自身のビートをプログラムすることが可能になっていました。更に、ワタクシのような楽器が苦手な人でも、オルゴールのようなパンチカードを使って自動演奏ができるオートプレイヤーも発売され、音楽好きの間では高い評価を集めました。

外部出力用のコードやソフトケースもあり、かなり凝っていて、玩具というよりは楽器に近いとも言えますね。

 

3:掃除機

チリトリー1970年代後半、任天堂は家庭用品を製造した短い期間がありました。このミニ掃除機、チリトリーもその頃発売されたもの。どれだけチリが取れたのは謎ですが、かなりユニークな発明と言えます。

この掃除機はリモートコントロールで操作でき、ソファに座ってリラックスしながら家の掃除ができるという優れもの。することができました。今では皆が知っているルーンバの、初代バージョンにさえ見えます。それでも、この時はそれほど売れなかったのです。

その理由は、このチリトリー、チリを取ってくれなかったようです。小さ過ぎることもあり、十分な量のチリを保管することもできません。動きもあまりにもゆっくりだったので、1つの部屋を掃除するのに一日がかり、いや、それ以上。

家庭電気製品というよりは、玩具といった感じですね。ちなみにこのチリトリーには、可愛い目のステッカーが付いていて、あなただけのチリトリーをデザインできるようになっていたそうです。

 

2:事務用品

コピラス

任天堂は1970年代、事務機器部門を持っていました。この頃、事務用品を安く購入するための店でもあったようです。時計や紙、オフィスで使うありとあらゆる物に目をつけ、製造して販売しました。通常、任天堂の商品はそれぞれユニークな仕掛けを持っていて、LEGOブロックのように組み立てることができる収納棚も売っていたようです。

また、コピー機も作っていました。任天堂Copilas / コピラスと呼ばれ、市場で最も安いコピー機(当時9800円)のうちの1つでした。構造が単純でコピー代が安いという長所がありましたが、1枚コピーするのに1分ほどかかり、長時間保存することが出来ないという欠点もあって返品が続出。

結果、任天堂はまたもや多額の借金を抱えてしまうことになりました。

 

1:ウルトラハンド

ウルトラハンド

みなさん、一度はこれと似たおもちゃを見たことがあるハズ!マジックハンドとして、知っている方も多いでしょう。この何てことない玩具が、任天堂の救世主となったのでした。

伸び縮みするハンドで遠くにある物を掴むことができるおもちゃ。任天堂で設備機器の保守点検の仕事をしていた社員、横井軍平が、お手製のマジックハンドを作って遊んでいたのを山内溥氏が目にし、商品化を命令したのです。

この単純だけど面白い構造が子供達の間で大人気となり、親たちも当時600円というお手頃な値段で買えたせいもあり、140万個を売り上げる大ヒット商品に。1966年に発売したウルトラハンドが、会社を救うこととなったのです。任天堂の転換期はこの時だったのではないでしょうか。

それから任天堂に開発課が設置され、横井軍平は後に任天堂開発第一部部長となり、【ゲーム&ウオッチ】【ゲームボーイ】【バーチャルボーイ】等の開発に携わって、任天堂を世界的大企業へと押し上げる原動力となった人物なのです。

 

任天堂の3代目、山内溥氏は実に色んな事にチャレンジしたようです。まさに七転び八起き、いや、七転びどころじゃありません。転んでも転んでも、起き上がる精神、素晴らしいですね。そして、常に新しい事に恐れる事なくチャレンジする精神は、爪の垢を煎じて飲みたいくらい。さらに、山内氏の発想はいつも良いセン行ってるんです。チリトリーもインスタントライスも、今ではよく見かけるアイテムですものね。ワタクシも何度転んでも起き上がる人間になるぞっっっ!


Wunderino € 30 入金不要ボーナス + € 200 ボーナス 30 ボーナススピン.

|


Bitcasino.io ¥ 55000 ボーナス.

|


LuckyNiki $ 30 入金不要ボーナス + $ 999 ボーナス + 1998 フリースピン.

|