オリンピックの悪夢トップ10

オリンピックの悪夢トップ10

白熱した戦いが繰り広げられた平昌オリンピックでは、感動シーンがいくつもありましたね。ワタクシも常日頃から、何事も極めることは素晴らしいと思っています。世界のトップ、オリンピック選手になるには、死に物狂いで練習に明け暮れ、自身のスキルを磨き、プレッシャーを跳ね除ける強さがなくてはなりません。そしてたとえオリンピック選手になったとしても、世界を目の前に誇らしくメダルを首に掛け、表彰台に立てるのはその中でもごくわずかです。

オリンピックの栄光を掴もうとするが故、 時には人生を変える事故を生み出すことがあります。以下の10の出来事は、オリンピックを取り巻く、過去のあまり知られていない【悪夢】と言えるのではないでしょうか。


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10:鳩の静寂

鳩の静寂アテネの1896年オリンピックでは、鳥は平和と自由の象徴として解き放されました。この行為は、1920年のアントワープ・オリンピックで正式に開会式の一部となったのです。歴史学者たちは古代オリンピックが行われた際、アスリートの勝利を故郷の家族や村に通知するために鳥が解放され、それ以来、何世紀にもわたって伝承されている儀式だと理論を立てています。

ところが残念なことに、象徴的な儀式は1988年に開かれたソウルの開会式の際、悪夢と言うしかない事態に陥ります。 3人の選手が巨大な聖火台に点火するため、上昇するプラットフォームをトーチを手に上がって行きました。その時、点火前の聖火台には多数の鳩がとまっていたのです。3つのトーチが聖火台に火を灯したとき、韓国焼肉さながら、世界中の人々が見守るなか、白い羽根が灰になっていきました・・・。

この事故から、オリンピック委員会はさらなる悪夢のような光景を避けるため、将来の象徴的な儀式を改めることが考慮されました。1992年、鳩はバルセロナのオリンピック聖火台の点火前に完全に解き放され、再びバーベキューを目にすることはありませんでした。バルセロナでは、鳩にも動物愛好家たちにも静寂をもたらしたようです。

 

9:プロパガンダ

プロパガンダ1968年メキシコシティ夏季オリンピック前には、選手の薬物使用テストが実施されませんでした。しかも、何人かのスピードスケーターたちがアンフェタミンを過剰投与し、医学的介入が必要となった1952年のオスロ冬季オリンピック、さらには1960年にローマ夏季オリンピックで、デンマークのサイクリスト、Knud Jensenが突然死亡した後では、このような規制の欠如はあってはならないことだと思うのですが。Knud Jensenが競技中に薬物過剰摂取で死亡した最初のオリンピック選手となってから、アンチドーピング運動が強化されました。Knud Jensenの死は、彼の評判を犠牲にするものの、アンチドーピング規制を強化するためにはとても良い模範となったのです。

ところが、Knud Jensenの検死の結果、体にアンフェタミンが検出されてはいたものの、実際にはそれが死に至らしめたのではないことがわかりました。彼の死は医学的に日射病に起因していたにも関わらず、アンフェタミンの使用が明らかになったことからプロパガンダ - 教訓として利用されたようです。今日まで、薬物過剰摂取で死亡したと言われる最初のアスリートの神話は、事実はそうでなかったことを証明する膨大な数の証拠が残っています。

 

8:挫折

挫折1964年の東京オリンピックでは、日本の陸上自衛官の円谷幸吉が自国を東京で代表するという名誉にあずかり、見事、銅メダルを獲得しました。オリンピック本番までのマラソン経験は3回のみ、戦後の男子マラソン代表としては森下広一(2回)に次ぐ少ない記録ですが、初マラソンからオリンピック本番までの期間はたったの7か月と、戦後では最短記録となっています。経験の少なさのためあまり注目はされていなかったにも関わらず、東京オリンピックで日本が陸上競技において獲得した唯一のメダルとなりました。

メキシコシティオリンピックでの金メダルを目標にしていた円谷ですが、その後、様々な不運に見舞われます。自衛隊体育学校の校長が替わり、新校長にはこれまで選手育成のために許されてきた特別待遇を見直され、円谷の婚約にもオリンピックの方が大事と認めてもらえず破談に追い込まれます。その中で周囲の期待に応えようとオーバーワークを重ね、持病の腰痛が再発し、病状は悪化して椎間板ヘルニアを発症。手術をして回復したものの、全盛期のような走りはできなくなっていました。メキシコシティオリンピックの開催年となった1968年の年明け1月9日、27歳の円谷は自衛隊体育学校宿舎の自室にて、カミソリで頚動脈を切って自殺してしまいます。遺書には「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」と書き残していました。


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7:燃えさかるトーチ

燃えさかるトーチメルボルンで開かれた1956年のオリンピック開会式では、1960年代を代表する中長距離ランナー、Ron Clarkeが、聖火最終走者を務めました。ところがこの時、気分の高揚からか、Ron Clarkeは右腕に火傷を負っていることに気付いていませんでした。彼がトラックを回り、スタジアム中から拍手喝采を浴びている時に初めて、トーチから火の粉が飛び散っていることに気づいたのです。Ron Clarkeの走った後には、火の粉の跡を残しただけでなく、彼のシャツと腕の部分を焦がしていました。

このRon Clarkeの災難と同じ様なことが、1968年のメキシコシティ夏季オリンピックで再び起こりました。選手がトーチの炎を交換する際、トーチが触れた瞬間、軽度の爆発が起こったのです。幸いにも選手にとっては、固体燃料、硝酸塩、硫黄、アルカリ金属炭酸塩、樹脂、シリコンの混合物は無毒で、怪我を追うことはありませんでした。

 

6:ホットドッグ?


ホットドッグ見慣れない食材のため、韓国料理であるポシンタンは、2018年冬季平昌オリンピックのために韓国を訪れる外国人の間で、ちょっとした騒ぎを引き起こしました。オリンピックによる経済効果が期待されるなか、韓国では観光客を魅了するため、都市のあちこちで犬の肉から作られた伝統的な鍋を提供していました。実は1988年のソウルオリンピックの際、犬の肉の販売は街の一部で制限されていました。その結果起こったことは、一部の韓国人がこのことに反発したのです。外国の習慣や意見に合わせる必要はない、と、韓国人たちは日頃よりもますます犬の肉を食べるという事態に陥ったのです。

韓国の伝統では、犬の肉には生殖能力を増強し健康増進の作用があると長い間信じられてきました。韓国社会の若い層の人々の間ではあまり人気がなく、最近では需要が減っているものの、田舎の農村地域などではまだ犬の肉を習慣的に食べる伝統は残っています。実際、ポシンタンは犬肉料理のほんの1つで、他にも犬のサラダ、犬のリブ、犬の寄せ鍋などバラエティ豊かに使える食材なのです。

 

5:茶番劇


茶番劇1904年夏季セントルイスオリンピックは、オリンピック史上、より奇妙なものの一つとなりました。ワールド・フェア(セントルイス万博)の影となったこのオリンピックには、フェア自体のスポーツイベントが絡み合っていたのです。そこには、白人の観客の娯楽のためだけに中傷的とも感じる「民族」ダンスが含まれていました。

一方、オリンピック最前線の出来事であるマラソンは、なんとも馬鹿げた茶番劇となりました。少数のランナーだけがマラソン選手として認められ、レースの大半はこれまでマラソンで競技したことのない10人のギリシャ人と、ワールド・フェアのためにセントルイスに来ていた南アフリカの裸足のツワナ部族二人という異様なメンバーによって行われたのです。さらにこの茶番劇を悪化させたのは、コースの気温と湿度。そのなか、水分摂取の制限というコーチの無茶な要求を受ける選手たちの健康に弊害をもたらし、何人かのアスリートは嘔吐や胃痙攣を経験し、一人は野生の犬から追われて衰弱し、他の選手たちも観客から食べ物を盗むという破茶滅茶なマラソンとなりました。

また、アメリカの金メダリスト、Thomas Hicksは、彼の思いやりあるコーチからストリキニーネを混入した卵白を与えられ、現代のオリンピックで初めての薬物使用の事例となっています。


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4:致命的な練習

致命的な練習オリンピック競技では、選手たちが競技中、事故や怪我に見舞われることは珍しいことではありません。死に至ることは稀ですが、トレーニング中に亡くなった選手は世界の大舞台に立つことなく、その名前はしばしば忘れられていきます。

2000年、シドニー南西部で練習中に車に轢かれ死亡した22歳のナイジェリア人ランナー、Hyginus Anugoはそのうちの一人かもしれません。その他にも1964年、オーストリアの冬季インスブルックオリンピックの際、英国のリュージュ選手、Kazimierz Kay-Skrzypeckiがトレーニングラン中に衝突死、オーストラリアのスキーヤー、Ross Milneも練習中に木に衝突して亡くなっています。2010年冬季バンクーバーオリンピックでは、オリンピック開幕まで数時間という時に、またもやリュージュ選手Nodar Kumaritashviliが練習中にスチールポールに衝突して亡くなっています。1912年のストックホルム夏季オリンピックでは、マラソン競技当日ストックホルムは30℃を超える記録的暑さに見舞われ、出場した選手総勢68名のうちゴールできたのは僅か34人という厳しいレースに。ポルトガルのFrancisco Lazaroも競技中に脱水症状が原因で倒れ、翌日亡くなってしまいました。1992年のフランス、アルバートヴィル冬季オリンピックでは、スイスのスピードスキーヤー、Nicolas Bochatayがスピードスキーの決勝戦の朝、チームメイトとウォーミングアップ中に圧雪車に衝突し、ほぼ即死状態で亡くなっています。本当に無念としか言いようがありません・・・

 

3:北の隣人

北の隣人韓国と北朝鮮の近隣諸国との緊張の高まりは、何も新しいことではありません。特にオリンピックシーズンには。1988年の夏季オリンピックがソウルで開催されることが決まった瞬間から、北朝鮮は尊敬すべき催しのオリンピックを何とか邪魔しようと決めたようです。

1987年11月29日、バグダッド発ソウル行きの115人の乗客を乗せた大韓航空858便がアンダマン海上で消え、韓国と北朝鮮の関係は悪化することになります。韓国は、直ちに北朝鮮を非難しました。すぐにテロ事件と判明し、実行犯は北朝鮮工作員の金賢姫(当時25歳)と金勝一(当時59歳)だったことがわかりました。2人は10月7日に金正日の「ソウルオリンピックの韓国単独開催と参加申請妨害のため大韓航空機を爆破せよ」との親筆指令に従いテロ行為に及び、父娘になりすましてテロ実行のために旅行していたのです。バーレーンの空港で二人を押さえましたが、金勝一はあらかじめ用意していたカプセル入り薬物で服毒自殺。金賢姫も服毒自殺を図りますが、警察官が飛びかかり直ちに吐き出させ一命を取り留めました。金賢姫には死刑判決が下されましたが、韓国の盧泰愚大統領は「事件の生き証人」という政治的な配慮から、事件遺族の抗議の中、特赦しました。

事件後は当事国のみならず、世界各国による北朝鮮への非難が巻き起こったものの、北朝鮮が意図した「韓国の信頼低下」は起こらず、翌1988年に無事ソウルオリンピックが開催されました。

 

2:エスタディオ・ナシオナルの悲劇


エスタディオ・ナシオナルの悲劇1964年5月24日、ペルーのリマで、最悪のスタジアム群集事故の1つが起きました。東京オリンピック南米予選のペルー代表VSアルゼンチン代表戦の際に発生し、この事故により328人が死亡、500人以上が負傷したことから、サッカー史上最悪の惨事とも言われています。

85分にアルゼンチン代表のアンドレス・ベルトロッティのオウンゴールにより、ペルー代表が1-1の同点に追いついたかに思われましたが、パソス主審はこの得点を無効と判定。この判定をきっかけに場内は騒然とした空気に包まれ、スタンドから1人の男が飛び降りてピッチに侵入、あっという間に警察と群衆の間で悪質な戦闘に発展しました。催涙ガスが53,000人の観客を襲ったため、路上に逃げようとした人たちは閉鎖された門の後ろに押し寄せ、トンネルで窒息死する者も。公式の死亡者数は328人となっていますが、警察の銃撃によってスタジアム外で殺害された被害者の数は反映されていません。死者の名前が記録されていないという事実から、銃器の傷を持つ無数の死体の数は、決して知られることはありません。

 

1:156の声


156の声「あなたの死刑執行令状に署名しました。」Rosemarie Aquilina判事は2018年1月、Larry Nassar博士に40年から175年間の実刑判決を宣告した後、ミシガン州の法廷でそう告げました。うな垂れた元米国体操医の、150人以上の女児や若い女性に対する性的虐待が20年間にわたりどの様に続けられたか、あるいは見過ごされたのかが疑問視されました。治療の名目で行われた虐待に耐え忍んでいたことを詳述する立場に立った156人の女性のうち、数え切れないほどの被害者の声が、権力を持つ組織 / 米国体操競技会、ミシガン州立大学、米国オリンピック委員会などによって何年も無視されていたことが明らかになったのです。

刑法上の性犯罪行為を7件訴えられたにもかかわらず、Larry Nassarが最近裁判所に書いた書簡には、彼の犠牲者は嘘をついていると非難し、さらにメディアは彼の評判を傷つけ、有罪となるように操作したと主張しました。この往生際の悪い54歳の変質者は、「地獄には女性の怒りはない」とも書いています。本当にとんでもない医者です。女性の怒りのない地獄に早く行きたまえ!


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